「正法に不思議なし」という言葉があります。正法(真理)には奇跡や不思議は
無いと云うことですが、「正法」を「神道」に換えても全く同じことが云えます。
そもそも神道とは宇宙の法則という意味があり、神社のお祭りが神道の全てで
はありません。それは祭礼という儀式の一部にしかすぎません。又いわゆる神
憑りや呪術にしても、それらのほとんどは密教や陰陽道の影響を受けたもので
あり、神道本来の姿ではありません。オカルトや超能力など何かをいわんやで
す。こうしたものに関わると必ず汚れます。よくよく注意すべきことです。
それでは神道本来の姿とは何か。それは純粋な自然信仰であり、世界の宗教
の始源の姿です。欧米もキリスト教以前はそうでした。古代人にとって自然の
脅威は死活問題であり、自然といかに共存するかが生活の全てでした。
そこには机上の哲学や観念論などの入る余地はありません。
生きるか死ぬかなのですから。即ち自然そのものが神だったのです。そのこと
を神道では「自然を以って経典とする」と云います。
聖書や経文のような文献によらずに、直接自然そのものと相対し、恐れ、敬
い、学び、感謝し、そして一体となる。自己もまた自然の一部であると知ったと
き、余分な理屈や観念は要らなくなります。奇跡を求める気持ちも無くなりま
す。自分が自然(法則)の一部なのですから。そのようなものは要らぬのです。
あとは只自然に、法則に乗って生きてゆけばよい。
それが惟神(かんながら)の道、神道なのです。
そうです、「神道に不思議なし」です。